皆様、弊社サイトをいつもご覧いただいて本当にありがとうございます。
弊社は、簡単に述べますと約15年程前に群馬県で一番初めにインターネットへ業態変換した不動産会社です。
お陰様で本当に多くのお客様から毎日の様にメールやLINEを頂き、せわしくさせて頂いております。
さて、このコメントを書き込んでいる私は現在49歳半ば、この業界に足を踏み入れたのが24歳ですのでいやはや、この不動産業界にもう25年も経ってしまうのですね・・・(令和3年9月現在)
即決営業全盛の時代に営業マンとして不動産業をスタート
そんな私が24歳でこの不動産業界に入った当時は、まだ【新聞折り込み広告】や【不動産雑誌】がメインの時代で、かつ【お客様を即決める・・いわゆる即決営業が一般的】だった時代でした。
当時の会社の上司には【お客様は信用してはいけない】【お客様は優柔不断だから営業マンが決めてやれ】なんて良く聞かされていましたが、即決営業とは【その営業マンが売りたい物件を何が何でも決める】と言う手法で、お客様の事など微塵も考えず、ただただその会社や営業マンの売りたい物件を即決するだけが約25年前の不動産会社の一般的な営業手法でした・・・
※今でもそれに似た営業手法を行っている不動産会社は正直まだまだあります。
そんな私ですが、25歳から約2年間程以前の会社で営業マンをしておりましたが、何故かトップセールスでした。しかしながら、何かむなしさが常に付きまとっていたのを思い出します。
当時は現在よりも【不動産業界はお客様にとってブラックボックス】の様な時代、そして【不動産屋は敷居が高く、相談したら決めさせられてしまう】と言う風潮がありましたね。
そんな2年間強の営業生活から、私は前職の会社で最年少の27歳で支店長を任され、部下も多い時には10名程抱えており、毎日が部下営業マンの即決のロールプレイングの練習に始まって、即決とは何ぞやなんて部下に教えたり、自社物件をいかに良く見せる事ができるかの案内ルートを考えたり、時には叱咤を行う日々でした。
上席からの指示で、その店舗はとても業績(社内的に)の良い店舗でしたが、【本当にこれで良いのだろうか?】と自問自答を繰り返す日々が続きました。
自分自身このままではいけないという思いが日増しに強くなり、また、今で言うブラック企業どころでは無いような営業会社だった為、私角田は29歳で今のこのクリエートハウジングを創業すべく前職を退社致しました。
以前の会社では多くの経験をさせて頂き本当に感謝もしておりますが、正直時代がその様な営業がスタンダードだった事もあり、いかんせん即決営業等ありましたが、私の基礎的な不動産知識向上に繋がりましたこと、そしてお世話になった諸先輩や同僚には感謝しております。
ただしお客様に対してはあの様なキツイ営業手法をしたことは私の気持ちの中に今でも残っております・・
創業したものの・・・
当時はまだまだ「不動産の集客をネットでする」なんて皆無の時代(約21年前)、故に【毎週土曜日に入る新聞折り込み広告】が絶対的メインでしたので、自分の気持ちとは裏腹に結局【即決】ないしは【お客様をいかに早く決める事】が重点となった会社運営に成らざるを得ない状況でした・・・
競合他社もザクザクとオープンし、私が30代前半の頃は毎週毎週、土曜日の新聞には不動産会社の広告が10社~15社位広告配布していた時代もありました・・・
正直、お客様も【どの不動産業者に電話したり】【その不動産会社に入ったりすれば】ってその当時のお客様は思っていたことでしょうね。
一大決心!ネット不動産業へ転換
そんな事があった私が33歳の頃に、「伊勢崎市に根付いて、お客様と調和の図れる会社になりたい」と心の底から湧き出るものがあり、「このまま常に新規のお客様を取りたいが為に先行投資(広告等)を行って、その先行投資を回収する為に即決し、営業マンへは歩合給料となれば、結局この【即決営業】と言うラットレースからは逃れられない」と切実に感じました。
そこで20代から親しんでいた【インターネットであればお客様と無理なくメール(当時・今はメールとLINE)でやり取りが出来、お客様へアポなし訪問や電話掛け営業もしなくても良いのでは!】そして、お客様に選ばれる会社が一番良いと私なりに感じ、2021年(この文章を書いた時)からさかのぼる事2006年(私が34歳)の時にネット不動産業へ変換すると心に決めました。
その直前に高崎市にも弊社の支店が有りましたが、その支店を閉鎖し、恥ずかしながらリストラも行い、そして残った営業マンへ下記の事を言い伝えました。
- 今後インターネットを使用します。
- 即決営業は禁止
- アポなしの訪問禁止
- 電話掛け営業禁止
- とにかくお客様にご迷惑な営業行為禁止
- 上席を途中で付けての詰め営業禁止
結果、私の思っていた通り2年強で全員の営業マンが弊社を去りました・・・・
正直不安だらけだったネット不動産と言う未知の世界を己の感覚でゼロから作り上げるため、ネット不動産になってからの2年間は休みも返上し、ほぼ毎日12時間以上パソコンに物件情報を入れ込みしていた事を今では懐かしく思います。
そして、当時行っていなかった【賃貸仲介】も新たに開始しまして、私は売買と賃貸を一人でこなし、事務員2名とで弊社クリエートハウジングは2度目の創業となったのです!
現在より13年程前(2021年現在を基準)に、何とか伊勢崎市限定自社サイトを軌道に乗せることが出来、賃貸仲介や売買仲介をメインに本当に一人で日々奮闘した35歳~45歳までの10年間は年間5日間位しか休む間も無い程の忙しさで、朝も早い時は朝の4時出社で夜は21時まで・・・朝ごはんも昼ご飯も食べず一日15時間~17時間働いていたこの10年で、実は28キロも瘦せました(笑)
※ライザップに行かずに済みました(笑)
でも、良かったのか否かは何とも言えませんが、その忙しさ故に契約時に2回程倒れた事もありまして・・・その後の診断で【パニック障害】と判明し、主治医からは「角田さん仕事をし過ぎですから、休みも取って下さい」と何度も何度も言われました。
それでも私は、この人生をこの生業で生きて行きたいと切に思い、薬を服薬しながらも「必ずお客様の為に尽力する」と心に誓って今がございます。
伊勢崎市にようやく根付いた「クリエートハウジング」
3年前(2021年9月現在)に私の右腕の補佐の町田が入社し、今では私と同等、もしくはそれ以上の物件調査も出来、そして重要事項説明書・売買契約書の作成も私がガッチリ教えて、ほぼ私が作成する重要事項説明書・売買契約書と同じ様に作成出来る様になりました。
また弊社の事務員3名もうち1名は既に社員になっておりますが、嬉しい事に約10年売買専門の事務を行っていた者も令和3年9月末(2021年現在)より正社員に登用いたしました。
振り返れば創業から20年経った今、宅建業の免許も令和4年1月で(5)になります(宅建業は5年ごとに更新します)。
創業当時はまずは1年継続させる、1年経った時には3年は継続させる、その後ネット不動産へ業態変換した際も今後10年目まで必ず継続させるとの思いのもとに、「この伊勢崎市で一番感謝される不動産会社になる」と心に誓って今がございます。
その甲斐あってか、44歳の時には【伊勢崎ロータリークラブ入会】その後業務多忙で4年弱で退会しましたが、現在は朝早い【伊勢崎倫理法人会】に令和3年8月に入会し、多くの経営者の諸先輩方、そして私より年下ですがとても立派な経営者の方々とも多く知り合いが出来ました。
生業の不動産業では3年程前から土地や中古住宅の仕入れも順調に推移し、年間30件~40件の仕入れも【無理な営業無く】こなせています。
今本当に心より感じる事は【この伊勢崎市にようやく根付いたと実感できること】です。
人は一人では何も出来ませんが、多くの仲間(社員やパート)と同じ方向を向いて、お客様と対等に共に歩めるこのクリエートハウジングが私の約15年前に描いていた会社そのものになりました・・・
正直不動産業界は未だに20年、30年前の営業手法を行って【即決営業】じみた営業を行っている会社もこの伊勢崎市にも多々ございます。
また、即決営業をしないとしても、【お客様と共に歩んでいる会社は極端に少ない】と私は感じています。
※不動産業者はとにかく売り上げ重視が多いです!
この伊勢崎市の不動産購入・売却をお考えの方に私の本心で【クリエートハウジングで良かった】【角田さんで良かった】と思って頂ける今、この今を第三の創業と捉え、今後更に変化するであろう業界の風雲児になるべく、私はスーパークリーンな不動産会社を今後も構築していきます。
今まで当社でお取引頂いたお客様、不動産会社様、各金融機関様、その他仕業の皆様に心より感謝申し上げます・・・
この文章は嘘ではなく正真正銘私角田が書いた文章です。今後世の中の変化を常に察知し、真心こもった応接を行う事を必ずお約束致します・・・
多くの皆様に感謝
令和3年9月
株式会社クリエートハウジング
取締役社長 角田秀則
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定休日:水曜日