怖かった父・・・今まで本当に有り難うございました・・・・

3月3日ひな祭りですね!
2月は後半がバタバタしており、雛人形も出せたのが一昨日の3月1日(水)でした。
次女が「パパ雛人形出して、出して、出して!」と何度もせがまれて速攻出してみましたが、やはり娘達の為にいつまでもこの雛人形を出す事が親の役割ですね!

さて・・・・タイトルにもありましたが、私の父親が2月19日(日)午前10:06に他界しました・・・享年77歳でした。

数年前に癌に侵されながら、一時は全く発病もせず来たのですが、昨年の秋口頃から再発した模様で、昨年の12月ごろまでもてば良いと主治医にも言われていましたが、気丈な父はそれから約2ヶ月【痛い】とも一切言わず入退院を繰り返しておりました。

体重も80キロあった父も最後は40キロ前半まで痩せ細ってしまいまして、我々家族もいつまで持ちこたえてくれるかと毎日考えていまして、いつでもと覚悟はしておりました。

そして2月19日の早朝に母親より【お父さんの呼吸が弱くなってきたので、秀則も早く来て】との電話で入院先の病院に到着しましたが、既に意識も無く、到着して5分弱で心肺停止となりました・・・・

父親の前で涙を流した事は幼少時期以来ありませんでしたが、幼少の頃カブトムシを取りに行ったり、沢蟹を取りに行ったり、稲作の手伝いをしたりした事が走馬灯の様に私の頭を駆け巡りました。

涙が頬を伝わるのが分かりました。

国鉄勤務でその後JRとなって、生真面目に趣味もほとんど無かった父ですが、本当に家族の為、親戚の為、地域社会の為に奮闘していた父でした。今思えばですが、本当に真面目で立派な怖い父でした・・・

このブログでは書ききれないほどの思い出がありますが、遺族たちはそうは言ってはいられません。即お寺さんの手配に葬儀場(メモリアルホール等)の手配、その他地元が田舎の為隣組や父のお世話になった方への対応などなど、母親は電話を多方面にかけていましたね・・・

結果最終的には私が喪主を務める形となりまして、初めての経験でしたが、気丈な父の葬儀の為奮闘しました。

達筆だった父の文章です・・・

通夜や告別式には総勢350名近くお越しいただいたこと、そして、お心遣いで生花も45基前後も出して頂いたことに、お越し頂いた皆様にさぞ父も喜んでいただけたと思います。

人はいつしかあの世へ旅立ちます。正直直系の家族(父)が無くなった事は当然初めてでしたが、私もいつしか生きている限りは必ず亡くなります・・・

今回の事を通じ【人の人生の儚さ】を更に痛感しました。だからこそ生きているうちに家族孝行やお客様へ精一杯業務を行う事、その他生きているからこそ出きる奉仕活動等、できる限りのことが出来ればと感じます。

皆様も今ご健康なご両親もいる方も、既にお亡くなりの方も、そして家族のいる方も全ての方へ【優しさを持って愛情を持って、接してもらいたい】と思います。

お父さん、今まで本当にこんなワガママな自分を今まで見続けて頂き本当に感謝いたします。ゆっくり眠ってください・・・・・

以上